長崎地方裁判所 昭和28年(行)4号 判決 1955年3月04日
原告 株式会社丸菱商会
被告 長崎労働基準監督署長
訴訟代理人 家弓吉巳 外二名
主文
被告が昭和二十五年九月五日付二五長労基監災第二六八号を以てなした訴外亡庄司幾治の妻訴外庄司ハツエに対する保険給付金の不支給決定はこれを取消す。
原告の金員支払を求める部分の訴はこれを却下する。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、主文第一、三項同旨並びに被告は訴外庄司ハツエに対し金九万五千二百六円及びこれに対する昭和二十六年一月三十一日以降右支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払うべし。との判決を求め、其の請求原因として(一)訴外庄司幾治は原告会社の日傭労務者たる塗装工として原告会社が訴外西日本重工株式会社長崎造船所より受注した同造船所第一船台ガントリー塗装工事に要する足場丸太取付のため昭和二十五年五月八日午前十時五十五分頃、高さ約三十四米の右箇所において作業中、丸太を締付けるべく縄を引張つた際、背後に架設してあつた三千三百ボルトの高圧動力線に触れて感電し、因つて同所より昇降用陸橋上に墜落死亡するに至つたのであるが、被告は右庄司幾治の妻、訴外庄司ハツエの労働者災害補償保険金請求に対し本件事故は、業務上の事故ではあるが然し同時に事業主たる原告会社の重過失によつて発生したものであると認定し、昭和二十五年九月五日付(長労基監災第二六八号)決定通知書をもつて、右遺族補償費金十七万十円の五割及び葬祭料金一万二百一円は、それぞれこれを給付しない。不支給分は労働基準法の規定により事業主たる原告において速かに、補償の義務を履行すべき旨決定をした。原告は、これを不服として、同年同月二十日長崎労働基準局保険審査官に対して審査請求をなしたけれども請求棄却の決定をうけたから、更に昭和二十八年二月十一日長崎労働者災害補償保険審査会に対して審査請求をなしたところこれまた、同年五月二十六日付決定を以て却下された。(二)然しながら本件支給決定は次の如き違法事由が存する、即ち右庄司の死因は高圧動力線に接触したことに基因する電撃死であること明であるにかかわらず、右決定はこれを墜落死と認定し、かかる誤認に基く事実を前提としてなされたものである。仮りに本件事故が墜落死に因るものであるとしても、原告は本件作業に当つては庄司に対し、高所作業に対する事故予防措置として常に腰縄を使用するよう注意を与え且つ予め本件作業現場に腰縄を準備し、現場監督を配置し災害事故防止につき万全の措置を講じていたものであるから何等の過失も存しないというべく、ましていわんや原告会社に重大な過失があつたというが如き決定に対しては到底承服することができない。従つて原告は被告に対し、労働者災害補償保険法第三十五条に基き、右違法なる行政処分の取消を求めると共に被告において右庄司ハツエに対し給付制限をした労働災害補償費及び葬祭費合計金九万五千二百六円の支払義務があるので、右金員及びこれに対する昭和二十六年一月三十一日より右支払済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求めるため本訴請求に及んだ旨陳述した。<立証 省略>
被告指定代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告主張の(一)の事実はこれを認めるが、その余の事実は、全部これを否認する。即ち本件事故の原因は原告主張の如く電撃死ではなくて墜落死であるところ。労働安全衛生規則第百十二条には「墜落の危険ある場所で労働者を作業させるには命綱を使用させ又は適当な墜落防止の方法を講じなければならない」旨規定されているのであるから、労働者をして高所作業に従事せしめる事業主は常に労働者に命綱を着用させその他適当な方法を講じて常に墜落防止のために万全の措置をとるべき注意義務があるにかかわらず、本件において原告会社はその主張の如く亡幾治をして高所作業に従事せしめるに当り、事故防止のためめ何等の措置をも講じていなかつたのであるから、本件事故は正に原告会社の重過失に基因するものというべきである。仮りに原告主張のように庄司の本件死因が電撃死であるとしても、労働安全衛生規則第百二十四条第一項には「電気工作物電気機械器具、電力装置その他電気附属設備の危険部分には、その旨を標示し、且つ照明を充分にしなければならない」旨規定され、同条第二項には「作業中又は通行の際に接触による危険がある個所には囲を設けなければならない」と明規されているところ、本件足場丸太の組付作業現場より約八十糎の近距離には三千三百ボルトの高圧動力線が架設されていて作業中に接触感電するの危険性は極めて大きいのであるから、斯様な状況下に労働者をして作業せしめる原告会社としては、事故を未然に防止するために直接又は電力会社を通じて、右電線に囲を設けるとか、その他適当な被覆設備をして感電事故を惹き起さないよう万全の配慮をなすべき注意義務があるというべきにかかわらず、本件において原告会社は、かような何等の保安施設をもなさなかつたのであるから、因つて以て生じた本件事故は明に原告会社の重過失に因ることは明白である。
以上、いずれの点より観ても、本件不支給決定は適法なものであるから、原告の本訴請求は失当であると陳述した。<立証 省略>
理由
原告主張の(一)の事実は、いずれも当事者間に争いのないところである。
そこで先ず右庄司幾治の死因について按ずるに成立に争いのない乙第八号証、同第九号証、証人高橋二郎の証言及び検証の結果を綜合すれば前示の如く庄司は作業現場より約三十四米下方の昇降用陸橋上に墜落し左側頭骨、左下上顎骨を左半分に亘つて粉砕骨折し、左第一肋骨以下第七肋骨まで胸骨左縁にて全部完全骨折及び陰嚢右側に長さ五糎の裂創があつて、睾丸が脱出する等の左半身骨折挫傷等の傷害を蒙つたこと、右傷害による身体機能障害の程度は絶対的致命傷であると認められること、右墜落当時、庄司の身体には両耳孔鼻孔より出血、右骨折部分の皮膚に広汎な皮内溢血の症状があつて墜落の当時、未だ心臓が鼓動していたことが夫々認められるのであつて、これらの事情を綜合するならば、右庄司の直接的死因は墜落による前示骨折挫傷等の傷害に因るものと認めるのが相当である。尤も一方前顕証拠によれば、右墜落の直前、庄司は冒頭判示の如く高圧動力線に接触し、右指示第二節撓骨側及び左小指第一指関節部尺骨側に各扁豆大の電撃傷を蒙つたこと、そのために同部の皮膚及び皮下組織共黒変するという症状を呈したこと、三千三百ボルトの高圧動力線に身体が接触した場合は確定的ではないが、死亡原因となる蓋然性があることを夫々認めるに十分であるけれどもこれを前記認定の事実に斟酌して考えるときは右電撃による衝撃は単に墜落事故の発端である足場の不安定と動揺を惹き起したに止まり死亡の間接的要因に過ぎないものと認めるを相当とすべく、他に以上の認定を左右し得る的確な証拠はないから、本件事故が電撃死によるとの前提にたつ原告の主張は爾余の争点につき判断を俟たずして理由がない。
よつて本件事故の発生が事業主である原告の重過失に基くか否かにつき判断する。労働安全衛生規則第百十二条第一項には「たて坑、井戸、四十度以上の斜面、やぐら、塔、電柱、架空索道の支柱、つり足場等墜落の危険ある場所で労働者を作業させる場合には命綱を使用させ、又は他の適当な墜落防止の方法を講じなければならない」と明定され、又同規則第百二十四条第一項には「電気工作物電気機械器具、電気装置その他電気附属設備の危険部分にはその旨標示し、且照明を充分にしなければならない」第二項には「作業中又は通行の際に接触による危険がある個所には囲を設けなければならない」と名規定されているのであるから、本件における如く労働者をして感電墜落の危険性ある場所において就労せしむる事業主としては、常に労働者に命綱を着用させ、或は電線に囲を設ける等その他事故防止のために万全の措置を講ずべき注意義務があるというべきところ、本件において原告会社が電線に囲を設ける等感電防止の措置を講じていなかつたこと、庄司幾治をして命綱を着用せしめていなかつたことはいずれも明に当事者間に争のない事実であり、本件事故は結局そのために庄司が作業中誤つて高圧線に触れて感電し足場の不安定と動揺を惹き起し、約三十四米の下方に墜落死亡するに至つたこと前記認定の如くであるから、右事故の発生については矢張り原告会社に義務の懈怠があつたものと認めねばならない。然しながら原告会社の右注意義務の懈怠を目し直に重過失と認めることは妥当でない。けだし重過失が通常の過失から区別される所以のものは、それが通常の過失に比して注意義務を懈怠すること著しいものがあるからであつて、結局両者を区別するためには、義務懈怠の程度軽重の如何を明にすることが必要であると認められるからである。よつて考えてみるのに前記の如く本件事故の発生につき原告会社に義務違背があつたことはいなめないところであるけれども、証人三浦亀吉、同谷川甲次郎の各証言を綜合すれば、原告会社は本件作業の実施に当り全く放任的であつたわけではなく、現場には腰綱の準備をしていたこと、現場監督者として訴外三浦亀吉を駐在させ同人をして作業開始前亡庄司幾治を含む作業労務者に対し、腰綱を着用するよう指示せしめていたこと、作業労務者の中飲酒又は睡眠不足の者がいるかどうかを調査せしめ、該当者に対しては作業せしめないように配慮していたこと、従業現場附近に高圧動力線が架設してある事実を一般に周知徹底させ、これに接触しないように注意をうながしていたこと、原告会社の責任者において二、三日毎に現場を視察し事故防止のため注意を喚起していた事実を各認めるに十分であつて、これらの諸事実を斟酌して考えるときは、本件事故の発生につき原告会社に注意義務の懈怠があつたとしても、これを目し直に重過失に該当するものとは認め難い。他に右認定を左右すべき的確な資料は存しない。然るときは本件事故の発生につき原告会社に重過失があるものとしてなされた本件保険給付金不支給決定は違法にして取消を免れないものというべきである。
次に職権をもつて原告の保険金給付を求める訴の適否につき按ずるに労働者の災害に伴つて支給される保険給付額の決定がいわゆる行政処分であることは労働者災害補償保険法第十七条第十八条第十九条等の規定に徴して疑のないところであり、事故の発生につき単に保険加入者である事業主に故意又は重大過失がない場合でも、労働者自身に故意又は重過失があるとき、保険加入者が保険料の納付を怠つたとき、保険料の算定又は保険給付の基礎である重要な事項について不実の告知があつたときには、政府は保険給付の一部又は全部を支給しないことができることに定められているのであるから、従つて保険加入者である事業主に故意又は重過失がないからといつて直に保険給付額が算定されるわけではなく、保険給付制限事由の存否及び保険給付金額の決定は矢張り行政庁たる被告の行政処分にまつべきことは当然である。
そうすれば裁判所が行政庁に代つて保険給付制限事由の存否及び保険給付金額を決定し、行政庁に対して給付を命ずるということは、三権分立の立前に反して自ら行政権の行使に介入する結果となり、到底許されないことと認めるの外はない。原告の前記訴は裁判事項に属せざることを訴求する不適法な訴として却下せざるを得ない。
よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 林善助 入江啓七郎 大西一夫)